8月31日

夏の終わりに思うこと。
今年は、って言うかここ何年か、花火をしなくなった。
打ち上げ花火を見る機会はあるけど、手持ち花火をやることがなくなった。
子供が小さい頃は、夏の当たり前の行事として、何回もやっていた。
ロウソク、水の入ったバケツを用意して、時々足に止まる蚊をはたきながら
一人何本、って分けて、大事に大事に一本ずつ。。。
私は線香花火が好き。
初めはゆっくりと、そして段々と華やかに、プルプルと震えながら、ちょっと揺すると
落ちそうで、それでいてしぶとく最後まで、最後の一筋まで一生懸命輝いて。
そんな線香花火が、好き。

秋の気配で思うこと。
私の好きな花、それはコスモス。
道端のちょっとした隙間に咲く、高原の広い広い野原に咲くコスモスが好き。
細い茎に、薄いピンクの花。
風が吹くと、今にも折れそうで、右に左に揺れながら、それでも必死に立ち直ろうと頑張って。
風が止むと、何ごとも無かったようにすくっと立って、お日様の光を受けている。
そんなコスモスの花が好き。

もう外は虫の声。
秋ももうすぐ。。。。


8月25日

人間の心って我侭だなぁ〜
「緑内障は早期発見、早期治療で進行は止められます」
世間一般にはそう言われている。
人から「良かったじゃない、早く発見できて。失明もしないんでしょ」
とか言われると「そんな簡単なことじゃない、早期発見・治療しても進行することだって
十分あるのに。」なんて思ったりする。
そのくせ、「あら、緑内障。大変ねぇ〜失明するの?かわいそうに」なんて言われたら
「何言ってるの!ちゃんと治療してれば失明すとは限らない。」とか思ったりする。
所詮どんな言葉を聞いたとしても、気持ちが落ち着くことは無い。
だから私は、人には話さない。
自分が緑内障だということは。
自分がこう言って欲しい、こういう言葉をかけて欲しい、と期待するから
その期待が裏切られたときの心の傷の方が深いから。。。
いや、人にそういう事を期待する私のほうがいけないんだと思う。
それこそ、我侭なんだと思う。
そう分かってても、つい期待してしまう弱い私もいる。。。
もっと強くならなくちゃ。。。


8月18日

今日は人間ドックを受けてきた。
8時30分に集合、5分前に着いた私が最後で、1組のご夫婦、職場の同僚らしき男性2人組と私の5人。
採尿や血液検査(これは30分おきに4回も採られた)身長体重体脂肪などを計り、動脈硬化の検査
聴力、視力(これは裸眼で0.1までしか計れず、私は最後まで何も見えず終了)そして問診。
さて、徐々に胃カメラの時間が迫ってきたぞ。。。。
事あるごとに看護士さんに「胃カメラ、ヤダ。。。」と訴える。(自分で申し込んでおきながら)
そしてついにその時が。
問診表を渡され記入。
もちろん既往症の所の「緑内障」の所にはハッキリと印をつける。
さらに、心配なことを書く欄には「緑内障がある為心配」とこれでもかと、緑内障を印象つける。
看護師さんが「特に喉が敏感?」と聞いてくれたのでここぞとばかりに「はい!うがいしてもグゥエ〜って
なります」「歯磨きしても。。。」とかなり大げさに訴える。
でもそのお陰で看護師さん紙に「敏感なので注意」みたいなこと書いてくれたみたい。
言ってみるもんだ。
一人で胃カメラの部屋へ移動。
そこでは検査助手のお姉さんがにこやかに「ではまずこの、胃の動き調整する薬飲んでね」
私「はい、でも胃カメラやだ。。。」
「はい、じゃ次に喉に麻酔かけるから、大きく口開けて上向いてあ〜、って声出して。苦いけど
飲み込んでね、いやかもしれないけど」
「いえいえ、思いっきり麻酔かけちゃって下さい」
「次、腕に胃の動きとめる注射するから」
「あの、私緑内障で。それ、大丈夫ですよね?」
「ああ、これは緑内障に良くない薬は抜いてあるから大丈夫よ」
これで一応一安心。
そうこうしてる間に口の中はしびれて、感覚が無くなってきて喋れなくなる。
横向きに寝かされて、手にも口元にもティッシュ置かれ、用意万端口にはマウスピース咥えさせられる。
技師さんが「はい、じゃ始めますよ」と言ってスルスルと私の口の中にカメラを入れていく。
さすがに喉を通るときには「グゥエ〜、ヤバイ!」となったけど「はい、胃に入るよ」と言われて
スルスルとカメラが胃の中に入ったら!
アレ?なんとも無い!?全然苦しくない。「目を開けて見て」と言われて画像を見る。
と言ってもメガネ外してるから良くは見えないけど「ああ〜これが私の、胃!?」
始めて見る自分の体内の映像にしばし見入る。
時間にして5分位か、胃の中をカメラがアッチコッチに動き回る。
胃がグルグルかき回されてる感じ。
そして、無事終了。あ〜終わったぁ〜
看護師さんが「とっても上手よ」と褒めてくれた。
う〜ん、喜んでいいのか?複雑な気持ち。。。
かくして私の胃カメラ初体験は、あまり見苦しい姿を晒すことなく、終了した。
その後のMRIも、初めての体験だったが、丁度カプセルの中に入った感じで、耳にはヘッドホンをつけ
15分ほどただじっと終わるのを待つ。
なぜヘッドホンか?と言うととにかく音が凄い!まるで工事現場か工場の中にいるよう。
なので、ヘッドホンをつけてないと、とても耐えられないのです。
そんな中、私はウトウト夢の中。「はい、終わりですよ」の声にびっくりして正気に返る。
全て終わって最初の検査室に戻ると、もう皆帰って私が最後。
胃カメラ、MRI両方したのは私だけだったみたい。
こうして私の長いようで実際は思ったより短かかったドックの一日は終了した。
後は3週間後の結果待ち。
これ以上何も出ない事を願うのみ。。。。。


8月16日

考えたら、私の親族には身体障害者手帳を持ってるのが3人もいる。
母は、数年前にペースメーカーを入れたため1級だし、私の兄は子供のころ小児麻痺で
足が少し不自由なため、そして私の姉の息子は腎臓病から透析になり手帳を持っている。
姉も元々腎臓病で、透析の末母から腎臓移植を受け、移植後1ヶ月ほどで感染症になり
39歳で亡くなっている。
その息子も姉と同じ病気で透析。
もし姉が生きていたら、親子で透析と言う、不幸な状況になっていたのだ。
だから私は割りと、病気を持ちながら生きていく大変さを普通の人たちより身近に感じて育ってきている。
それと同時に、病気を持った子供を持つ親の苦しみも、目の当たりにしてきている。
親が子供に言われて一番辛い言葉「何で私が病気を持って生まれてこなくちゃいけないの!」
「私の病気の苦しみは、誰にもわからない!」
この言葉を投げつけられたら、親も回りも何も言葉を返すことは出来ない。
確かに誰だって病気を持って生まれたくないし、親だって病気を持った子供を生むつもりなんかない。
ただ不幸にして、病気と言う重荷を親も子も背負わなくてはいけなくなってしまったのだ。
だから私は病気を持つ当人の苦しみ、そしてその病気を持った者の回りにいる人の苦しみ
両方がわかってしまうから、自分の病気に関して弱音とか愚痴とか何も言えない。
先日何かの話から、障害者手帳の話題になり、私が何気なく「大丈夫!私もいずれ手帳貰えるから!」
一瞬その場がシ〜ン。。。。ヤバイ。。。。マズカッタ。。。。
苦し紛れに無理やり他の話題に。
結局病気の話題には触れないようになっていく。
全て自分の心の中にしまいこみ、全て自分で処理していく。
それが時々たまらなく苦痛になるときがある。
何かに思い切りぶちまけて、泣き叫んで、吐き出したくなる。
でももうずっと、我慢する事に慣れてしまった私には、決して出来ないだろうな。
これからも、ずっと。。。。。

8月11日

2週間ぶりに仕事に行った。
いつもだったら夏休みなんだけど、入れるクルーがいないというので働くことに。
このパートを始めてから11年になる。
接客業で5時間、6時間立ちっぱなし。
レジもやるし製造の方もやるから、かなり疲れる。
家族はもういい加減に辞めれば、と言うけれど、やっぱり私はこの仕事が嫌いではないんだと思う。
たまに聴覚障害のお客様がみえる事がある。
以前から手話に興味があったから、本気で手話を習おうと思ったこともある。
でも今はやるなら、点字の方が良いのかな?と思ってみたりする。
いつかこのパートも辞めるときが来るんだろうな。
その時って、どんな時なんだろう?
自分の体の限界?
同居してる両親の具合?
でもきっと今点眼してる目薬が、朝晩2回から朝昼晩の3回になったら辞めなくちゃだめだろうな。
それにこの頃よく、自分の右足を物にぶつけることが多くなった。
人ごみ歩いてて、右側の人にぶつかることも。
これ、左目の鼻側の視野が欠けてるからなのかなぁ〜
全て緑内障に関連ずけちゃいけないんだろうけど、どうしても考えちゃう。
まあいくら先の事、あれこれ考えたところで、なるようにしかならないんだから
少しでも長く、今の生活が続けられるよう頑張らなくちゃね。


8月6日

物事を捉えるときに人によって捉え方が違うと思う。
最良の結果を信じる人と、最悪の結果を考える人。
私は今まで、何事も良い方に考えるタイプの人間だった。
でも、この病気に関しては最悪の結果を常に頭に描いて生活するようになった。
「失明しないだろう」と良い方に考えて今この時を無駄に過ごして、もし失明したときに
「見えてるときにもっと色々としておけば良かった」と後悔するよりも
「失明するかもしれない」と最悪の状況を想定して、今この一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思う。
だから今の私は、目に映る物全てが愛おしいと感じる。
青い空、白い雲、美しい花、海、山、夜空の星、花火。。。。。
イッパイイッパイ見たい、目に焼き付けたいと貪欲になっている。
それで将来失明することなく、一生を終わるとしてもそれは私にとって宝物になると思うから。
あ〜きれいな物イッパイ見れて幸せだったって思えると思うから。
そしてもしも最悪、見えなくなるときが来たとしても、きっと私の目の中には
沢山の美しい映像が残っていると思うから。
だから、この病気に関しては私は、常に最悪の状況を想定してこれからも生活していくと思う。
最後に最良の結果が待っていると信じて。。。。。


 9月








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